松本市の旧町名碑マップをもらいに行く
BGM♬Unforgive/SHE’S
少し前から興味を抱いていたことがある。
それは・・・
旧町名で松本市の地図がピンとくるようになりたい。
年配の方とお話しすると聞き慣れない町名で場所を説明されることがあった。
それって何処のこと?
ぜんぜんどの辺りのことを指すのか分からない時があるのである。
松本市は歴史深い街。
旧町名にはそれぞれ意味がある。
この日の目的☆
【松本市の旧町名碑マップをもらいに松本城に行こう】(^^)
街中には所々旧町名を示した石碑がある。
これを辿ってぐるり散策。
松本駅をスタートして目指すは松本城!
【天神小道】
深志神社まで見通せるまっすぐな通り。
天神の社が見通せたかららしい。
現代まで真っ直ぐな小路として面影が残っているとはスゴイ☆
この路に沿って天神馬場があった。
馬術の訓練というよりは馬上試合、打毬等どちらかというと競技に使われていたらしい。
訓練の馬場はもっと松本城近くの武家地にあった。
【深志神社】
赤が映える美しい神社。
なんと諏訪大社からの御分霊だったとは☆
【こんなノスタルジーな建物に出会う】
【生安寺小路】
この辺りには江戸時代「生安寺」というお寺があったらしい。今は蟻ヶ崎に移転。
節句の時の人形を売るお店が軒を連ねていた町人の街。
今なお伝統が受け継がれている。
これって凄くないか☆
【なんと街のど真ん中の用水路で群を成して泳ぐ鱒】
湧水があっちこっちにあるからね〜☆
【鍋屋小路】
やべぇ!
今まで何度となく通っていた駅前大通りにこんな石碑があったとは・・
ここは鍋や釜を作る鋳物職人が集まる町人街だったらしい。
古き時代でも職業があり、町が機能し、生活が成り立っていたことが垣間見れる。
【本町】
松本郵便局の所。
各種問屋が軒を連ねる経済の中心地だった場所。
「親町三町」のひとつ。
ここで親町という言葉が出てきた。
どうやら城下町のうち、町人居住区では「親町三町・枝町十町・二十四小路」と構造化されていたらしいことがわかった。
町も組織化されていたとは・・
これもまたすごい。
ここまでの散策では町人の街を歩いてきたことになる☆
【中町】
ご存知、多くの観光の方も訪れる中町通り。
真ん中にあったから中町らしい☆
先程の本町と同様。「親町三町」のひとつ。
驚いたのが犀川通船開通で船が遡行していたこと。
女鳥羽川→田川→奈良井川→犀川と物資が船で運ばれていた。
塩や肴問屋が軒を連ねていた。
蔵の街並みは問屋が多かったから。
ちょっと疑問が(^◇^;)
船で下った後はその船どうやって戻すの??
【袋町】
武家地突入〜。
中ほどは鍵の手に曲がり、北側は行き止まりと袋小路になっていることからこの名が。
防備の為の町割り。
町割りの仕方が変わって一気に城らしさが出てきた!
さて・・
やっとこさ松本城にてゴ〜ル!
さっそくお隣、松本市立博物館に『松本旧町名碑マップ』をもらいにレッツゴー♪
・・なんと、たまたまこの日はなくてもらえませんでした(^◇^;)
が〜ん!
近くの松本市時計博物館でももらえると聞いてそちらへ。
何とかゲットしました!
疲れたので縄手通りで休憩です。
【ふるさと】さんでたい焼き☆
【カメノヤ】さんでコーヒーフロート☆
いやぁ(*´∀`*)
オアシスだわ!
ふるさとさんのたい焼きは一本焼き。
表面カリッとしてて餡子ギッシリ!
焦げ目がうまい(^^)
カメノヤさんのコーヒーは喫茶店の味。
コーヒー毎度うまいです!
癒された(^^)
今回の発見。
松本の旧町名は江戸時代末期までと明治以降に分けて捉えた方がよい☆
明治以降体制が変わり町割が劇的に変化していった。
新たな疑問も芽生えた。
たまにはこういう歴史を辿る散策もいいものだ(^^)
ふるさとさん!
カメノヤさん!
ごちそうさまでしたっ!
今回はこちらの曲を聴きながら記事作成♬
Unforgive/SHE’S
https://youtu.be/ChOYXdgWk8Y
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